安楽死を考える・神々の夕映え(渡辺淳一著)より
さて、安楽死の患者の家族からの要望を聞き入れた医師のその後の行動です。
医師は、オピアトを1筒患者にうつように指示します。婦長は怪訝そうに医師のほうを見てから「よろしいのですか?」と聞きます。いままでオピアトを1筒うったことはなかった。痛みの強いときでもせいぜい0.6から0.7だった。「とにかくつかってみよう」医師はそれだけ言って赤い麻薬伝票にopiat.1Aと書き込みます。患者の夫が言っていることが安楽死の希望であることを考えていた。彼ははっきりそういう言葉を使ったわけではないが、それを望んでいるのは確かであった。そして彼の要求を受け入れた形になっていた。「わかりました。」と答えたとき、医師はすでにそのことを心に決めていた。事実医師は直ちにオピアト1筒をうつように指示をだした。全量をうって、即座に死ぬことはないだろうが、憔悴しきった患者にかなりの負担になることは確かだった。厳密にいえばその時から私と彼は安楽死に加担したことになるのかもしれない。
この調子で麻薬を使っていけば、患者は半月ともたないかもしれない。あるいは10日くらいか、場合によっては明日にも呼吸麻痺が訪れるかもしれない。そうしたことは別にして、心臓や体への負担を考えず麻薬を使うことは、楽といえば楽だった。なにかひどくすっきりした気持ちになった。迷っていたものが気がつくと自然に解決し、労せずして楽をした、そんな気持ちだった。
医師の立場からの安楽死への道。患者さんの家族からの要望とはいえ、名古屋高裁にて出された安楽死の6要件、また東海大学安楽死事件における要件の不備により、この医師が刑法の刑罰に問われる可能性は否定できないと思います。この場合、患者さまの明確な意思表示が必要であると名古屋高裁の判決においては述べています。患者さまに意思表示がはっきりと示せない場合には、患者さまの家族の意志によってもよいと東海大学事件において、裁判所は判示しています。この医師が、安楽死に加担していることは確かであるといえます。この小説においては、刑事事件に発展した等の部分にまで触れてはいませんが、今の日本の法律で考えれば刑罰に問われる可能性は非常に大きい事例であるといえます。この安楽死への道は、医師である渡辺淳一氏の立場からとらえた考え方であり、医師の先生方にとっては同じようなご判断をされますでしょうか?
(神々の夕映え 渡辺淳一著 講談社文庫より)











