安楽死を考える・神々の夕映え(渡辺淳一著)より
安楽死をどう考えるかをテーマにした渡辺淳一さんの作品「神々の夕映え」からの問題提起です。
この医師のもとに、S市の総合病院から送られてきた脳血栓の患者が運び込まれてきます。普通、血栓症の場合は侵された領域の神経部分だけが麻痺を起こしますが、彼女の場合には脳によほど強い浮腫でもおきたのか、ほぼ全身の麻痺と脳の障害をきたしていた、送られてきたときにはほとんどものも言えず、こちらからいうこともほとんど理解できなかった。発病から一年半経ち、回復のめどはない。いわゆる植物人間に近い状態でその状態はいまも変わらない。
この種の患者は入院させても病状は変わらず、食事を与えるとか、下のものを取り替えるといった、身の回りの世話だけに追われてしまう。完全看護の設備のない病院では看護婦の手が足りなくて必然的に家族の負担を強いられることになってしまいます。患者の夫は半年前から仕事をやめて患者につききりであり、この町から8キロ離れたところで農業をしていたが、妻が病気で倒れて以来、休耕している状態、家族は四年制の農業高校に通っている娘と、中学一年の息子の二人がいるが、いずれも学校があるので付き添いにつくわけには行かない状況でした。そのため、夫は付き添いで収入がなく、生活保護世帯になって医療扶助を受けている状況でした。そのため、夫は毎日妻の3度の食事と下の世話をするため、病院に泊り込みの状況であった。
このような植物人間状況で回復の見込みのない患者にとって、死の選択は本人のためになるのであろうかという投げかけです。医療の発達によって、脳死の状態ではなく人工呼吸器をつけたままのいわゆるTLS(精神的な死・閉じ込められ症候群)(TLSに関しましては、照川貞喜さん実際にALSの状況下にある方の著書や柳田邦男さんの手記などから後日ご紹介させていただきます。)の状況にある方が、安楽死を望む声もあります。死がその方にとって最善の方策であるのか、医療倫理委員会等でも話し合いがなされているようです。この安楽死を認めたアメリカの有名な裁判事例もありますので後日ご紹介させていただきます。
渡辺淳一さんが投げかけたこの問題は、患者自身の問題であるとともに周りを取り囲む家族にとっても大きな問題であるといえるでしょう。
(神々の夕映え 渡辺淳一著 講談社文庫より)











